対自核

セラピーの一環としての自分語り

新聞を勝手に発行していた

 その昔、ネットなど無い時代、テレビ以外の媒体では新聞や雑誌が主流だった。
新聞を取っていない家庭は、なにか訳アリなのではないかと思われたりした。
そんな時代の話を少しばかり書いておこうという気になったのですぐに実行するのだ。

自分で新聞を発行してみたい。なぜかそう思ってしまったことがすべての元凶だった。
と言っても、購読者なんていないから、いつもつるんでいる友人になってしまうわけなのだが・・・。

肝心の内容というか方向性は、自分たちや友人の身に降りかかった、ちょっとした” 事件 ” を針小棒大に書くという、東スポ的なものだった。
しかし、自分たちに降りかかった事件だから、当事者なのである。すでに顛末は知っているのだ。当然、特ダネであるわけもなく、また、実はこの件はこうだった・・・みたいな意外性もまったくないという、何かいろいろ見失った新聞だった。
とは言え、いつも同じメンバーで何かするわけでもなく、その場に居合わせなかった者も出てくるわけで、そういった場合においては少しばかり興味をひく内容になった。

しかし、ここで問題が出てくる。実際の新聞もそうだが、時間との勝負になるのだ。
その蚊帳の外の友人がコトを知るまでに発行しなければならない。速報性がすべてと言ってもいい。つまり、" 事件 " が起こるとすぐに制作に取り掛からなければならない。ソッコーで自宅に戻り、ワープロ(WORDなど当時は無いのだ)を起動し、今しがた起こった生々しい出来事を文章化していく。(当たり前だが)取材をする必要は無く、ただ起こったことをそのまま文章にしていけばいいのだが、なかなかリアルに書くということは難しいのだった。

どうにかして1時間くらいでB5サイズの新聞(我々は「機関紙」と呼んでいた)を作成、すぐに近くのドラッグストアに持ち込み、10枚ほどコピーをする。これで号外の出来上がりというわけだ。うまくしたもので、だいたいそういうタイミングでターゲットは訪ねてくるのである。

ところで、なぜか自分の部屋が友人たちのたまり場になっていたりして、(こいつ誰なんだろう・・・?)と自分が知らない人物が普通にマンガを読んでいたりした。友人の友人なわけだが、別に自己紹介し合うわけでもなく、たんたんと普通に接していた。今考えると相当不思議なことだが、当時はあまり細かいことは気にしなかった。

話が脱線してしまった。新聞が出来上がり、部屋の真ん中の炬燵の上に置いておくと、見つけたターゲットが手に取り、読み出すわけだ。じっと読んでいる。無言で記事を目で追っている。こちらも無言である。
そして感想は、「ああ、そんなことあったんか・・・。」そんな程度だった。

それでも、自分が発行した新聞を他人が読んでくれるのがうれしく、まもなく機関紙は乱発されることになる。といってもネタを捏造することはなく、実際に起こった出来事にこだわった。ウソはいけないのである。けっこう盛った内容ではあったが事実なのだ。

しかし、こんな遊びにつきあってくれるほど友人たちもバカではなく、そのうち、ただのゴミ扱いを受けるようになった。
いったいどれだけの労力を要して作成された新聞なのか、まったく理解していないのだ。実費もかかっている(コピー代だけど)。それをタダで読めるのだ。
これを僥倖と言わずして何だというのか!・・・そんな気持ちだった自分は、「自分たちの機関紙なのだから、必ず目を通すように!」と、強要するようになってしまった。

ほとんど恐怖新聞と化した機関紙は疎んじられ、やがて廃刊へと追い込まれていった。