対自核

セラピーの一環としての自分語り

乗るしかないこのビッグウェーブに...

 人には、体調が優れないのと同じように、こころの調子が優れない時だってあるわけで、そんな時は巷の人たちはどうしているのだろうか。とても興味がある。
というのも、定期的にやってくるメンタルの不調からどうあがいても逃れらない状態が
もう数年続いているからなのだ。
そして今まさに” 底 ”に到達しようかという状態であったりする。困ったことにわりと振幅が激しく、波が頂上付近では、とめどなくアイデアが直感のごとくひらめいたりするのだ。
まあさして大したことを発見したり発明したりするわけでもなく、何となくそんな気がしているだけだとは思うのだが・・・。

 夏の暑い盛りに、真冬の凍える寒さを実感できないように、調子が良いときに” 底 ”の状態を思い起こすのは実感レベルとしては難しい。そこでどんなメンタルで何を考えているのか、備忘録として残しておきたいと思った。というわけで現在の心境などを綴ったりするのだ。

 本当に調子が悪い人は、もう起き上がることもできなかったりして大変だったりする。
幸いというか何というか、自分はおクスリの力を借りればなんとかやりすごすことはできる。
が、やはり「大波」がやってくるともうこれはどうあがいても絶望なのだ。逃れることはできないし、たとえばおクスリの量を増やせばなんとかなるのかもしれないが、それはリスクが高く、したくはない。というのも、実際に量を(勝手に)増やしてみたところ、カラダが動かなくなるという事態に陥ってしまった経験があるからだ。なので現状、「大波」には乗るしかないのだ...。

 とにかくだるい(こころが)。セラピストは、「楽しいことだけ考えて、好きなことだけやっていればいいよ。」とアドバイスしてくれるが、その楽しいこと、好きなことがなくなる状態なのだ。何に対しても興味が続かない、というか沸かない。知らないうちに夜が明け、朝がやってくるような感じである。そしてこの状態の時にはやたら外部からの刺激に弱かったりする。具体的には、人と話すことなどおっくうすぎてもはや無理である。

とはいえ、仕事はあるので、そこはおクスリの力とほとんど残りカスとなった責任感のようなものでなんとか乗り切るのだが、残業などしようものなら、ドーピングが切れてしまい、もうおしまいなのである。グダってしまう。この文章のように。

最近は、症状として、やたら目が回るようになった。立っていられない時もある。頓服薬を処方してもらっているので、(こいつはヤバいな)というときには前もって飲むようにしている。

ただ、そんな状態をどこかで楽しんでいる自分がいたりする。自分でもよくわからなかったりするのだが、そのおかげでそんなに悲観的にならなくて済んでいるのかもしれない。
いわゆる希死念慮といったものはまったくない。
”こころの風邪”とはよくいったもので、いつかは治るのかもしれないし、一生つきあっていかなければならいのかもしれない。別にどちらでもいいと思っている。
それをひっくるめたすべてが自分というものだと思っていたりする。

このような症状や心境といったものは、一般的では無いと思うし、理解してもらえるとも思っていない。マジで調子がヤバいときは、途中で帰ったりするくらいである。
世の中にはもっと深刻な状況に置かれている人もいる。でも比較しようとも思わないし、自分のことで一杯一杯なので、アドバイスしようとも思わない。同情する余裕すらない。

ただ、病んでいる人は仲間なんじゃないかなあと思っている。相手は迷惑かもしれないけど。