対自核

セラピーの一環としての自分語り

つまんねーことをダラダラっと書きます

 休み前のワクワク感が無くなってしまったのはいつからだろうか。

疲れ果ててやっと休みが来た、今日は夜更かしもできるな!という瞬間にも

もう休み明けのツライ気分にふと思いを馳せてしまっているのはなぜなのか。

休みなのにいつもの出勤時間に合わせて起きてしまうのは、意味もなく緊張して

ヘンな汗をかいてしまっているのはなぜなんだろうか・・・。

 

おクスリ飲めばなんとか収まることは収まるのだが、それはマイナスからゼロに戻るだけのことであって上積みは何もない。

病んでいる、自律神経が壊れちゃっている、など理由はあれど、こんなん生きてても

楽しくはない・・・と思うところだが、なぜかわりと楽しんでしまっているから、人生とは面白いモノヨ。

 

 「開き直ったら人間は強いよ」と、とあるオッサンから若いころ言われて、その時は

(何言ってんだこのオッサン)と思ったものだが、オッサンは正しかった。

「どれだけ無責任になれるかが人生を楽しむ秘訣ダヨ」みたいなこともついでにそのオッサンは言っていた。(おいおいおい・・・)とドン引きしたものだが、オッサンよあんたの言う通りなんだワ。

 

これは病んでるじゃないか、という状態を第三者的に無責任に眺めてみると、案外おもしろかったりする。ああ、この負荷にはたぶんギリ堪えられるなとか、あーこれはダメだな、ドーピングだドーピング・・・などと客観視できるようになると、けっこうイケたりする。病んでる自分に対し責任を取らないというか・・・。逃げてるだけなのかもしれないですが。

しかし、「自分、病んでますから・・・」みたいに言い訳に使っていろいろ誤魔化すことにはさすがに抵抗がある。そこは踏みとどまりたい。

 

 人生いろんな経験をしてきて、もう恥ずかしいことなんていまさら、とか、そんな守るほどのプライドなんか無いと自分でも思うのだが、それでもどこかしゃらくさい自我が邪魔をする。

そんな誇れるような偉人でも賢者でもないだろうに。

 

自分を許そう。生まれてきてどうもすみません、などとは考えないようにしよう。

悲しい時はもう泣こう。人目をはばからず。

楽しい時は・・・あんま楽しいこと最近無いす。

 

けっこうな時間生きてくると、そんな楽しいことは長く続くものではないし、なんの

変哲もない日常がフツーなんだととっくに気づいてるはずなんだけど。

つまんないことがデフォだから、何か少しの僥倖に嬉しさや楽しさを見いだせるのかもしれない。

 

自分が楽しくなかったらつまんないっていう、とんでもなく当たり前のことにいつまでも囚われていたりする。

なんか最近(楽しむってどうやるんだっけ?)と思ったりする。

精神的に贅沢になってしまったのか。ただの鬱野郎なのか。

せめて休みが到来した時くらいはこころから楽しい嬉しいと思えるように戻りたい。

 

イヤだねえ。