対自核

セラピーの一環としての自分語り

没になったものを浮上させる

ああ、つまんねえの・・・って途中でやめたヤツなどを供養します。

 

1.僕が中学生くらいのころはバイオレンスが普通に日常にあった。まあ荒れていたって

いうこともあったと思うのだが、教室で部活で普通にブン殴られていた。

また、珠算教室になぜか行っていたのだが、そこでも先生が自分の息子を延々とブチのめしてその日の授業が終わるというとんでもない光景を見たりもした。

それに対して親が怒鳴り込んだりとかそういう抗議みたいなことは一切無かったと思う。まあ珠算教室は親が殴ってるわけなのだが。

裏で子供が知らないところで何かあったのかもしれないが、とりあえず表面化することはなかった。

テレビを見れば、オマーリさんがが容疑者を容赦なく殴打しているし(中断)

今の時代にそんなことが行われたら秒で終わるようなことが日常だった。ここは軍隊かな?と思うことも高校時代にあったりもした。昔の軍隊経験を記した書物などを読むと

かなり陰惨なものがあったりするが(中断)

 

※普通につまんないから没に。何が言いたいのかわからない。

自分で読んでてつまんないす。

戦争というウルトラバイオレンスを目の当たりにしてこんなのあったなと。

 

 

2.最近ぜんぜんゲームをしなくなった。一番ゲームをしていた時は有給休暇を取って

20時間くらいゲームしていたこともあった。食事も取らずにひたすらコントローラーを握る姿は、何かキメてるとしか思えないものがあったと思う。

そんなに必死に何のゲームをしていたのかというと、もっぱら洋ゲー、それもRPGだった。今では普通のジャンルになっているが、当時は同好の志はほとんど見当たらず

(中断)

そういえば、当時ゲームブックなるものが流行ったことがあった。「火吹山の魔法使い」とかそんなカンジのタイトルだった。シリーズで刊行されていて全部そろえていたし、ファンクラブのようなものにも入って、特典のバッジをもらった記憶もある。

バッジはどこかへいってしまい、もったいないことをしたと今でも後悔している・・。

 

ゲームブックの話はもっと掘り起こしてきちんと記したい。本の下のほうにサイコロが印刷されていて、パラパラめくって出た目で選択肢が変わるのは斬新だった。

 

 

途中でツラくなってやめたヤツを2つほど成仏させました。

あんま下書きとかしなくて勢いだけで書いてるんですが、思いついたことをメモっぽく

残しておくこともあります。

でも自分で書いててつまんないなって思うものはやっぱりつまんないんでしょうなあ。

楽しくなければ無理に(中断)