対自核

セラピーの一環としての自分語り

デジタルデトックス(強制)

 わけあって数日間、ひかり回線が完全にお亡くなりになっていた。

 

当然、ネット環境は死んでるし、固定電話も...まあ固定電話の存在意義など

とうに無くなっているから全く影響がなかったんですけど、ダメ、と。

じゃあゲームでも久しぶりにやるかと起動しても、認証できないからこれまた

動かない。コンシューマ機のゲームはやらないのでこれまたアウト。

僕はスマホはほとんどいじらないほうなので、こうなってしまうともう原始に

戻るしかないのだ。

 

 現代人はそのような状態になるとどうなるのか。災害地においても同じだと思う

んですけど、依存度が高い人たちにとっては、かなりのストレスでしょう。

 

で、自分はというと、これがまったくなんともなく過ごせてしまった。

まあ、子供時代にネットなんぞ影も形も無かったわけで、ああ、昔はこんなカンジ

だったなあ....ってなもんですね。

まっ、3,4日間のことなので、これが3か月、どっか山奥にセンプクするような生活

してたらどうなんだっていうのは、またあったりするんですが。

 

仕事から帰ってきて夕食のあとは、本を読んだり、滅茶苦茶久しぶりにアナログ

レコードなんぞ聴いてみたり。アンプからのガリノイズが酷かったっすけど。

特に禁断症状も出るわけでもなく。動画見れんやんけ!ああああああ!ってことは

なかったっす。昭和時代に製造された者はこういう時強いのだ。

 

 

 

 むかーし、血を吐いて1か月間、検査結果が出るまで飲酒喫煙はぜったいダメね、

死ぬかもしんないよって脅かされたことがあった。検査結果は特に異常なしだったの

で、良かったんですけど。で、気づいたら1か月タバコ吸ってないやってことで、

じゃあこのまま吸わなければいいんじゃね?って喫煙を止めることができました。

逆から言えば血を吐かなければタバコ止めれなかったかもしれないす。

つまり強制的な外部からの圧が無いと無理ということですね。

 

 じゃあこれをネット依存からの脱却(いや....別に脱却しようとしているわけでは無い

んですが)に応用できるかと言えば、もはや生活にネットが入り込みすぎてしまって

いて到底無理だな、と感じました。結局、そこにネット環境があればやっぱ便利なので

無理だなっていう気はします。

 

ネット環境死んでる中、唯一困ったのはアレクサが眠っちゃってたことですね。

毎朝、寝ぼけながら天気や気温を聞くのが習慣になっているので。

 

 

何はともあれ復旧した今となっては、調べものしたり、こんな駄文書いたりと、

結局元通りの生活にすっかり戻ってしまってるわけなんですが。