対自核

セラピーの一環としての自分語り

日記(2024.03.06)

 朝からメンクリに行く。

 

「どんな感じですか?」

「おだやかな一か月でした」

「そうですか....」

「....っす」

 

で、おクスリもらって、マックで休憩して帰宅する。

いや、おだやかな一か月でもなかったんだけど、どうも最近、ストレスの掛かる

シーンでは(イメージですけど)少し後方から、なにやらモメたり、めんどくさいこと

に巻き込まれている自分を第三者的に眺めているカンジになっている。

 

その時は、「あー....大変だな....」と、完全に他人事になっているため、ダイレクトに

ストレスを感じない。結果や成果は実体のあるこっち側に残るため、全部あっち側

にできないのがツラいって言えばツライんですけど。

 

まあでも半減はしてるかもしれない。めんどくさい事案も解決するまでは残るけど、

「ああ、めんどくせぇ...」って声に出しそうな感情を複製体みたいな自分が半分引き受

けてくれている感覚。複製体君が実務まで引き受けてくれればいいんだけど。

弊害は、それが打合せだったりする場合、大事なところが欠落したりすることか。

あれ?そういえば、さっきのってなんだったっけ?みたいなことになったりする。

 

痛しかゆしなのだ。