対自核

セラピーの一環としての自分語り

通勤仲間の離脱はそこはかとなく哀しい

  シャワーを浴びる。「あーさっぱりした」ってなカンジで髪を乾かし始める。

髪の毛洗ってないやん。。。。ってなことがたまーにある。顔をしっかり洗って、

ヒゲ剃って・・・ってやってるうちにどうも忘れちゃうみたい。洗顔料やらフォーム

やら洗い流す時に頭からお湯かぶるからかなあ。

 

 僕は毎日の行動、日常生活のルーティンは寸分なく行う人間なのだ。

シャワーを浴びる時にしてもそう。まずは顔洗って、次に・・・とかぜんぶ決まって

いる。きまぐれで「今日は足の指から洗っちゃおう」という崩しはどうも気持ちが

悪くてできない。

そこの一部が抜け落ちるというのはどういうことなのか。いよいよボケたか。

いや、ずいぶんと前からそういうことあったな。よくわからない。ルーティンって

極端な話、ぼんやりしててもオートマチックに行われる動作だと思うので。

 

さて、そういう性格というか生活習慣なので、朝出かける支度もきっちり分単位で

同じ。朝起きる時間も決まっているので、玄関出てから駐車場に行きクルマに乗り込

んでエンジン始動、時計を見るといつもぴったり同じ時間なのだ。

 

 ちょっとおもしろいな、と思うのは、そうやって毎日同じ時刻に出発すると、

どこそこの交差点で、道中のこのポイントでとか、ピンポイントでごいっしょする

クルマがほぼ同じなのだ。

やっぱこのクルマの人たちも、ルーティンをしっかり守ってるのかなーと仲間みたいな

気がして感慨深い。

 

毎日一緒の道を走っているクルマなので、どこでレーンチェンジしてどこのインターで

降りるかとか動向を把握しているため、実に安全。妙な動きをすることもなく、本日

もいってらっしゃい、いってきます、みたいな奇妙な連帯感を感じる。自分だけかな。

いや.....相手もきっとそう思ってるでしょ。こっちの動きも把握されてるから。

ここらでこの車線に移動しないと、ってタイミングで車間距離開けてくれてゆずってく

れるし。

逆もまた同じで、「アンタここらで車線変更しないとアカンだろ、トラック邪魔だな....

減速して車間開けたろ」みたいなことを毎日やっている。

 

 ところが、ある日突然、いつものクルマが見当たらなくなることがある。「今日は

休みなんかな」とかそこまで意識して考えるわけではないのだが、1週間経っても、

1か月経っても見当たらないと、「ああ。転職でもしたのかな....」とか思ったりする

ことはある。クルマ乗り換えたのかもしれないけど、時間とルートでだいたい分かった

りするもんだし。

 

ホント、まったくの赤の他人で、別にレース仲間だったりするわけでもなく、ちらり

と運転してる人が見えるくらいで、目を合わせて挨拶なんてするわけもない間柄だけど

通勤仲間がいなくなるのは少し寂しい。