対自核

セラピーの一環としての自分語り

趣味について当たり前な話をそれっぽく

 僕は一度に複数のことをしないタイプなのだ。特に趣味に対してはそう。

けっこういろんなことに首を突っ込んできたと自負をしているんだけど、どの趣味も

「今これが面白い!」となれば、ずっとそればっかりやっているし、どんどん深堀り

していき、お金もかけてしまう。広く浅く、ではなく、狭く深く。

単に並列処理ができないポンコツなだけかもしれないけど。

 

その結果、趣味のことしか脳みそを使ってないため、かなりの知識量と経験値が

溜まっていくのだが、ある日、突然他のことに熱中しだしたりする。

熱しやすく醒めやすいのかもしれない。

ただ、そこで完全に止めてしまうわけではなく、たまに思い出したように、たとえば

釣りだったりアナログレコードを漁ったりする。旅行にも行く。

 

そこで現在はどうかと言うと、クルマを適度にいじったり、本をずっと読んでたりする

ことが多い。お金のかかり具合から、後者の比率が高い....というか、クルマは普段の

移動手段でもあるので、もう趣味とは言えないかもしれない。熱量も以前ほど高く

ないので、ほぼ読書がメイン趣味となっている。ただ、ガラ空きの深夜の高速をトバ...

いやなんでもないす。

 

 

 動画全盛の今の時代において、質量を伴う紙の本を購入し読むという行為は、ある

意味贅沢なのかもしれない。実際、本の値段もかなり上がったしね。

音楽もそう。デジタル音源をダウンロードしたり、サブスクでいろいろ流したりって

いうスタイルがすっかり普通になった今、アナログレコードをB面を聴くために手で

ひっくり返すという行為が楽しかったりする。

 

もちろん動画もやたら見るし、Spotifyだって隙あらば流してたりする。

しかし、それとは別にいちいち時間と手間をかける行為が楽しいのだ。

そこだけ特別な時間を過ごしている感がものすごくある。

 

趣味にタイパは存在しない。動画を倍速で見たりしてる人がいるが、確認作業でしか

ないと思う。否定するわけじゃないけどね。

趣味は楽しければ成立するわけだから。

でも僕にはあまり理解できないね。それって楽しさ半減でしょ。

いや.....やはりこれは単に処理能力の欠如なのかな。