対自核

セラピーの一環としての自分語り

知らない外国の子の想い出

これはまだ僕が小学生の時のこと。

たぶん夏休みだったんじゃないかと思う。

というのは、平日の昼間っから花火を持って自宅を出たから。

さすがにそんなシチュエーションは夏休みしかないだろう。

学校サボって一人で花火やってる小学生なんてとんでもなく哀しい。

 

正直、記憶が怪しく、なんで花火なのかよく覚えてないが、近くに住んでいた親戚の子と約束でもしてたんだと思う。

そんなわけで元気よく自宅から飛び出したわけなんだけど、トートツに途中で出会ってしまったのだ。僕の持っている花火にとてつもなく熱い視線を送ってくる二人組に。

 

家の近所のマンションに米国人の男性が住んでいた。まあ地方都市から少し離れた

片田舎だったから、最初はもう珍獣を見るような目で見てたんだワ。

今考えると失礼な話なんだけど。でも昭和の小学生なんてそんなレベルなんだワ。

とはいえ、しばらくすると米国人Jさんも、なんだかんだですっかり町に馴染んで、

僕らの目にも珍獣から日常の風景へと次第に変わっていった。

で、たぶんそのJさんの息子娘なのか親族なのかわかんないんだけど、僕と同じくらいか、もう少し下かというくらいのアメリカ製小学生が突如僕の前に現れたのだ。

 

その時僕はビビッとデンキが全身をババッと走った(ような気がする)衝撃のせいか、立ち止まってその子たち(兄妹に見えた)に近づいていった。

僕は自慢じゃないが算数(数学ですらない)と英語はめちゃくちゃ苦手で、学生時代はずっと赤点だった。そんな脳みその持ち主のしかも小学生が、異国のお子様とコミュニケーションなど取れるわけが無い・・・。

 

しかしその時はもちろんそんなことを考えることもなく、なぜか自然に彼らのもとにゆっくりと歩いていった。そして、「これ花火。分かる?」と聞いてみた。

彼らは日本語は分からないようだったが、僕がおもむろにブツに着火して花火を見せると、とたんにテンションがめちゃくちゃ上がって大喜びとなった。今なら「外国人大喜びシリーズ」に名を連ねること間違いなしの光景に僕もつられてテンションが爆上がりしてしまった。

そして日米の狂演が始まった。

 

「次の花火を早く早く!」とせかす米国代表。「わかったから少し落ち着けほら火がついたから!」と日本代表。「次はこのナントカっていうヤツいこうよ!」「いや、これやってから次にいったほうが盛り上がるんだよ!」

恐ろしいことに、米国代表と日本代表の間にはコミュニケーションが成立してしまっていた。

 

「それはニュアンスとして伝わったんじゃないの?」とか「ボディーランゲージっつーの?それっしょ?」みたいなことを親とか親戚に散々言われたのだが、断じて違うと言わせてもらおう。

本当に日本人同士で会話するような感じで細かい会話が成立していたのだ。

オカルト系にむりやり持っていくと(いや、別にオカルトでもないか)、一種のテレパシーみたいな感じだったのかもしれない。

夢中になって一緒に花火で遊んでいたその時間だけは僕たちは昔からの友達だったように普通に会話できていた。

 

しかしやがて楽しい時間も終わりに近づき、パラシュート花火を最後に僕たちの

宴はしめやかにお開きとなった。発射されたパラシュートを渡し、別れを告げ、

ひとりで真の目的地へと歩き出した。背中に何か言葉をかけられたが、もちろん何言ってるのかさっぱりだったので、振り返ることもなくただ手を挙げただけだった。

 

期待していて待っていた親戚には滅茶苦茶非難された・・・かどうかは覚えていない。

たぶんすぐにほかの遊びに切り替えていつもどおり遊んでいたんだと思う。

もうずいぶん前のことなので、そのあたりの細かいことは覚えていない。

でも、知らない外国の子たちと短い時間だったけど盛り上がり、別れるときの少しばかりのチクリと胸を刺す切なさは今でも思い出す。

 

あの子たち今頃なにやってんだろうなあ。