対自核

セラピーの一環としての自分語り

桜散る

桜は散るから美しいと言われますが、どう思いますか。

桜の木の下には、埋まっているのでしょうか。

掘ったことがある人はいるのでしょうか。

 

まだ小学校に上がる前、純真無垢な時代のこと。

桃を食べた後、裏庭にその種を埋めました。

だいたいそのころの年代のお子様は、種とあらば埋めてしまうものなのです。

 

すっかり忘れていたころ、芽吹き立派な木となり、母親から、あの埋めた種が桃の木になったと聞かされた時には、おどろいたと同時に、どこか「やっぱりそうなんだ」と思った記憶があります。

 

やがて実がつくようになり、虫対策に紙の袋をつくって、桃にかぶせていきました。

収穫した桃の味はまったく覚えていなくて、きっと甘かったのではないかと思うのですが、おぼろげな記憶しかありません。

 

実家は、わりと裏庭が広かったせいか、いろんな木が生えていました。

ザクロの木があったり、なんだかよくわからない種類の木などが何本もありました。

 

そのよくわからない木の中で、なぜかカナブンの巣になっている木がありました。

揺するといっせいにものすごい数のカナブンが飛び立つ様は壮観としか言いようのないものでした。

不思議なことに、カナブン達は昼間はいないのです。夕方、日が暮れ始める前に最初の一匹が彼方の空から戻ってくるのが見えると、やがて続々とみんな帰還してくるのです。

その光景を数時間かけて眺めているのが好きでした。

夕暮れの中を帰ってくるカナブン。なにか少し寂しい光景ではありました。

 

 

人もみんなどこかで何事か仕事をして、じぶんの住む街へ家へと帰っていきます。

夕暮れの中ぼんやりと家路に向かい歩いていると、ふと「本当に帰るべき場所はそこ

なんだろうか・・・」と考えたりしないでしょうか。

どこかはわからないし知らないのですが、本来帰るべき場所があるような。

 

そんなことを散りゆく桜を見ながら思い出したりしました。

疲れちゃってるんですかねえ。