対自核

セラピーの一環としての自分語り

攻守

 寝不足だと具合悪くなるっていうのに、夜中に見てしまうのは好きモノの悲しい性ですね。

強豪国は攻守の切り替えが速いので、一瞬ウトウトするともう点入ってたり

します。

 

 さて、強引に前フリから本文につなげるわけなんですが、攻めと受けって、

こういうメディア系にもあるような気がします。って言っても結局は個人の性格の

ことなんですが。

 

どういうことかと言うと、ブログを書いたりっていう行為でもそうなんですけど、

人様の文章を読んでいくと、なにか充足してしまって、自分で書かなくなったりとか。

ゲームでもそうですね。実況配信見て、「これはおもしろい。自分でもやってみよ

う。」と購入してプレイする人と、他人のプレイなんですけど、自分が最後まで

プレイした気分になってしまって、「ああおもしろかった。おしまい・・・。」って

なる人がいると思うんです。

以前にも同じようなこと書いた気がするんですけど、自分は圧倒的後者ですね。

 

ただ、ブログでも配信でもそうですけど、なんとなくでも発信系やってる人って、

やはり誰かに見てもらいたい、聞いてもらいたい、もっと言えば認められたいっていう

承認欲求ってどこかに絶対あると思うんですよね。

 

なので何かしら文章書いたり配信してみたり。内容はホントアレなんですけど。

 

ここのブログでも自分に向けて書いてるって体なんですけど、やはり誰かに読んで

もらいたいっていうのは正直ありますね。

ただ、ほとんど内容が無いレベルでも、書くことで外部に気持ちを放出できて、

少しばかりの解放感のようなものは得られるのでメンタル的にはアリかなあと思って

います。

 

とんでもなくおもしろいことでも起きれば、おもしろおかしく多少は盛るかもしれない

ですけど何かしら書くことができるんですけど。

しかし、実際の日常は特に何も起きることなく淡々と。

 

年齢を重ねたことによってたいていのことを経験してしまっているので、新鮮味が

無くなっただけなのかもしれないですけど。

 

やっぱ変化の無い毎日ってつまんないし、何のために生きてんのかなあ。。。とか

余計な事考え出したりしますね。

 

おもしろいことないすかね。