対自核

セラピーの一環としての自分語り

うしろすがたのしぐれてゆくか

 山頭火について語れるほど知らないし、調べたこともないです。

 

この詩は素直に胸に入ってくるものがあります。

 

客観的に、俯瞰的に自分を見てしまうことが多くなりました。

 

たぶん、まだまだ生きていくだろうし、そう簡単にくたばることも無いだろうと

思う中で、しかし何かもう余生を生きている感じが、けっこう前・・・30代の後半

くらいからありました。

それはなぜなのか分からないのですが、一区切りついてしまったというか、諦念

に似た感情に支配されることがその頃からあったような気がします。

 

醒めていると言ってしまえばそれまでなんですが。

 

 

若い頃は、何のために生きているんだろう・・・と思ったこともありましたが、まあ

そこは若さゆえ、何も考えずにムチャをやったり騒いだり忙しく生きていたように思います。

死ぬことはまったく怖くはないですが、このまま惰性で生きて老いて朽ち果てていくの

かと思うと、なんとも言えない感情になったりしました。

 

最近は、生きること自体に意味があるんだろうと思うようになりました。

何してもつまんねーし興味ねーしホント、ダルいわ・・・こんな気持ちにも

意味があるんだなってことです。

「つまんねー」と思うことに意味がある。

 

人生を全うした時って、どんな気分なんすかね。

 

壮大な間違いだった!と思うのもまたおもしろいかなと思ったりします。

 

せめて死ぬ時くらいは生きてて良かったと思えればいいな。

なんか矛盾したこと言ってる気もしますが・・・。

 

ああ、疲れた。