対自核

セラピーの一環としての自分語り

夢を見る。

定期的に同じような夢を見る。

 

電車に乗っている。かなり高いところを走っているようで、車窓から街並みを見下ろしている。

気が付くと服を着ていない。これはマズイことになった。もうすぐ駅に着いてしまう。

それまでに何とかしないと・・・・。

 

なぜかこんな夢を何十年も見続けている。

何も隠すものが無いと気づいた時の気持ちは、例えようもない絶望感につつまれていて、目が覚めた後でも焦りに似た感情が消えていかない。

 

こんな夢は、何か不安事があったりすると、形を変え、抽象化されて見るものなんじゃないかと考えたりもするのだけど、そうするとわりと小さい時からずっと同じ性質の不安感に苛まされているのだろうか。

思い当たるフシが特にないのが不思議と言えば不思議。

 

まあ・・・今は毎日毎時、不安感に苛まされているようなものだけれど。

 

 

だいたいは夢を見たなあ・・・という感触が目覚めた時に残ってるくらいで、9割がた覚えていない。映像や音声はきれいさっぱり消去されている。

ただ、その夢の「感情」だけが残滓のように残っている。目覚めて哀しくなっていたり

妙になつかしい気持ちになっていたり。

 

 

ただ、1年に1,2回は見る、小さい時からずっと見続けているその夢だけは、なぜか

はっきりと覚えていて、戦慄にも似た焦燥感とともに、完全に目が覚めても思い出す

ことができる。

 

不思議ですねえ。