対自核

セラピーの一環としての自分語り

喪中と年賀状

 7月に義父を亡くした。そうなると今年の正月は喪中ということになる。

普段、関係性が薄い友人知人はまったくそんなこと知らないわけで、LINEでの

「おめでとう」だったり年賀状が届いたりする。それ自体は当たり前なことなのだが、

それに対する返しにけっこう困ったりしている。

 

LINEで、「喪中につき、おめでとうは言えないんですわ。すません。」みたいなことを

返信したり、年賀状をくれた知り合いにもLINEで返信しているが、これで合っているの

かどうか。

 

 僕は、年賀状をある年から廃止したため、保険屋から数枚届くくらいなのだが、

絶対に年賀状送るマンの友人がひとりいるのだ。久しぶりに会った際に、もういいよ

と伝えたのだが、まあ彼には彼の流儀があるのだから仕方ない。もしくは年賀状ソフト

を使って履歴からオートマティックに送られるシステムなのかもしれない。

そういうわけで、「喪中につきはがき」は送っていないのだ。

 

 法人関係でも、「今回から虚礼廃止で年賀状あいさつやめますね」といったお知らせ

がけっこう届くようになった。100枚単位、1,000枚単位で出す企業からすると、

年賀状といえどもけっこうな経費になるわけで、さらにもうすぐ郵便料金も上がると

いうタイミングで決断されたのだろう。

 

 年賀状をやめるのは、どちらかがいきなり止めないと無理だと思う。ぜったいに

出さない鉄の意志を持っているはずの僕でも、年賀状が送られて来ると、「返したほう

がいいんかなあ.....」とコンビニへ走る、みたいなことが過去にはあったりした。

 

 

 年賀状に対するスタンスは、人によっていろいろあって面白い。

「年賀状でしかつながっていない知人だから毎回出してるよ」と言われる方もけっこう

いる。しかし、年賀状だけでつながってる関係性っていったいなんだろう?と思ったり

もする。ここらあたり、その人の人づきあいに対する姿勢があぶりだされているようで

興味深いなと思ったりもする。

 

しかし、LINEやX(旧....略  になると、会ったことも見たこともない人達とつながって

いることも多く、さきほどの年賀状のケースと何ら変わりないことに気づく。

 

結局、賀状という紙媒体からデジタルに移行しただけということだと思うのだが、

いや、しかし何年前の話をしているのかな、僕は。年賀状なんぞ出したこともない

世代もすでにいるだろうこの時代に、ちょっといまだに過去の慣習慣例に縛られている

オールドスクールなおっさん臭がすごくて自分でもむせる。

 

 すごいスピードで変わっていく世の中を見ながら、でも残したい風習ってのもある

よなあとも思う。そんなこと言ってる自分が真っ先に年賀状廃止してるんですけどね。