対自核

セラピーの一環としての自分語り

嘱託講師と吉村昭(前編)

 20代が始まったころ、僕は公務員になった。そんな年齢では、まだ世の中のことが

何もわかっていない。しかし根拠の無い自信だけはあるという、とんでもない若造

だった。

 

 まず最初に県庁に行き、そこから配属が決まった庁舎へと割り振られる。

何も知らない僕は、「県庁で仕事すんのかな」と勘違いしたが、当然そんなわけは

なく、案内役の職員から名前が呼ばれ、いきなり私鉄電車に乗せられ出発していった。

 

どこまで行くんだろう?と思った。その時分になっても、自分がどこで何の仕事をする

のか、皆目見当がついていなかったのだ。そんな若造が県の税務課に着任するわけだか

ら、そこの市民も災難である。僕の他にもう一人いて2人が新たにその庁舎の新入り

ということみたいだった。その人とは少しだけ話をしただけで、その後まったく会う

ことはなかった。

 

たぶんそこの庁舎では一番の年少者だったと思う。

それもあってか、僕はけっこうかわいがられ、野球部に誘われたりした。

土曜のお昼からは試合があるので、庁舎の食堂でカレーを食ったらすぐグラウンドへ

というのが習慣になっていた。当時は土曜日でも半日勤務があったのだ。

野球は好きだったので別に苦ではなかった。けっこう楽しんでいた。

 

 

 そうこうしているうちに、新人研修が始まった。前期後期と分かれていて、後期

研修のことだったと思う。座学が中心で、眠たくて仕方がなかった。居眠りを何回

かして怒られたりしていた。僕らの担当講師は、60代後半くらいの方だった。

21才の若造から見てなので、もしかしたらもっと若かったのかもしれない。

が、見た目はおじいさんってカンジだったので、嘱託の方だったのではないかと思う。

 

そんな受講態度というか、はっきり言ってイキっていた僕は、当然目をつけられて

やたら怒られていた。めんどくさい生徒だったと思う。

 

 しかし、毎回遅刻してくる女の子がいたりもしたのだ。しかしその子には何の

咎めも無いという理不尽さなのだ。もうすでに講義が始まって10分も経とうかと

いう時分にガラリと扉が開き、何事もなく自分の席に着席するその子を毎朝見て、

「こいつ、心臓に毛が生えてやがる....。」とあきれるというか感心していた。

 

いろいろな人がいろいろな所からけっこうな人数集まってきているので、そういう

どてらい奴がいてもまあ不思議では無いと思うのだが、しかし毎朝っていうのは

「すげーな、こいつ」と思わずにいられない。聞けば僕より2つ下で19才になった

ばかりだという。

これはただものではない。しかし、僕はそういう規格外の人間が大好きだったし、

年齢も近いということで、自然に言葉を交わすようになっていった。