対自核

セラピーの一環としての自分語り

嘱託講師と吉村昭(後編)

 ある日、講義が終わり遅刻子女と一緒に帰ることになった。偶然、担当講師も一緒に

なり同じ電車に乗り合わせるという事態になった。毎晩夜遅くまで遊び惚けていた

僕は眠くて講義など朦朧としていたものだが、ある時、講師の好きな作家が吉村昭

あること、また、その作品について熱く語りだすということがあって、「おお、同志

やないか!」といきなり、昨日まで「うぜぇよこのおっさん.....」と思っていたのが、

「文学仲間じゃーん」という節操の無さ。うーん・・・これが若さだ。

 

向こうも、めんどくさい若造が、なぜか自分の敬愛する吉村昭作品を自分より読んで

いること、作品について質問してもよどみなく答え、「あの場面のあの箇所ってどうも

実際に会って聴取したみたいですよ」とか、エッセイまで読み込んいることに驚愕した

みたいだった。当然、電車の中では吉村作品について語り合うというシチュエーション

になった。

 

それからというもの、帰る電車はいつも3人で、ずっと吉村作品について熱く語り

合っていた。遅刻子女はまったく興味が無いみたいで、それでも僕らの話をイヤな

そぶりを見せるわけでもなくじっと聞いていた。

 

僕は講師が読了している作品はほとんど読み終えていたし、けっこうな回数読み込んで

いたため、やたら詳しいのだ。しかし1作だけ新書で入手できず、古本屋めぐりをして

もどうしても手に入らない作品があった。

そして講師はその作品を持っているという。そうなると講師は、もううれしくて仕方が

ない様子で、その作品についてとんでもない熱量で語りだした。

僕もその気持ちはすごく良く分かるので、なんだかうれしかった。

マニア同士の会話なんてそんなものなのだ。

 

話の流れで、その本を貸すから明日持ってくる、という。講義も後半に入ってきて

おり、残すところ数日となっていたこともあり、申し訳ないがそれはお断りさせてもら

った。いい加減だった当時の自分では、読み終えても返却するのがおっくうになるのが

目に見えていたし、作品は気になったが、もっと気になることがあったからだ。

 

それは、遅刻子女とどうにかしてもっとお近づきになれんものか、ということだった。

なんだかんだで僕は好きになっていたのだ。そして僕の勘違いでなければ、遅刻子女も

僕のことに好意を寄せているらしいのだ。どうやって最終日にどこかに遊びにいけない

ものか、といったことが目下の大目標になっていた。

 

最終的にその企ては成功し、5年くらい付き合って遅刻子女と結婚した。吉村昭先生が

縁だったのかもしれない。いや、吉村愛にあふれる担当講師が縁を取り持ってくれたの

だろう。妻は付き合っている最中も待ち合わせの時間に来たことは一度もなかった。

さすがであるとしか言いようがない。でもそこに惚れたんだから仕方ないね。

 

 

もう鬼籍に入られたかもしれない吉村大好き講師の、普段は厳格な態度、風貌からは

想像できない、吉村作品について熱く語る時の少年のような目の輝きが今でも忘れられ

ない。