対自核

セラピーの一環としての自分語り

日記(2024.03.06)

 朝からメンクリに行く。

 

「どんな感じですか?」

「おだやかな一か月でした」

「そうですか....」

「....っす」

 

で、おクスリもらって、マックで休憩して帰宅する。

いや、おだやかな一か月でもなかったんだけど、どうも最近、ストレスの掛かる

シーンでは(イメージですけど)少し後方から、なにやらモメたり、めんどくさいこと

に巻き込まれている自分を第三者的に眺めているカンジになっている。

 

その時は、「あー....大変だな....」と、完全に他人事になっているため、ダイレクトに

ストレスを感じない。結果や成果は実体のあるこっち側に残るため、全部あっち側

にできないのがツラいって言えばツライんですけど。

 

まあでも半減はしてるかもしれない。めんどくさい事案も解決するまでは残るけど、

「ああ、めんどくせぇ...」って声に出しそうな感情を複製体みたいな自分が半分引き受

けてくれている感覚。複製体君が実務まで引き受けてくれればいいんだけど。

弊害は、それが打合せだったりする場合、大事なところが欠落したりすることか。

あれ?そういえば、さっきのってなんだったっけ?みたいなことになったりする。

 

痛しかゆしなのだ。

(コラボ)シロノワール!だが.....

 さて、今年もコラボってるシロノワールはもれなく戴いていこうと思っているの

だが、いきなり2月でつまづいてしまった。まあ済んでしまったことは仕方がない。

気持ちを入れ替え今日も今日とてコメダへ。前回は一日早かったが、今回は本日より

スタートらしい。これは3月は幸先が良さそうだ。

 

が....

 

おぱ.... え?

このキャラ知らんので、なんともコメントのしようが無いのですが、おいしかった

です。ちょっと高いかなあ。

 

 

 

店員さんに頼むとき、けっこう恥ずかしかったっす。店員もたぶんそうみたいで、

「うさぎレギュラーサイズですね?」と言っていた。

なんだ....「うさぎ」で良かったのか.....まあ通じるわな。

元気よく正式名称をはっきり大きな声で注文してしまい、まるっきりバカみたいだな。

いや、キャラ知ってれば、「いや、これアレでしょ。はいはい頼みますよ」

みたいなテンションでイケたのだが。僕にも羞恥心が少しくらいはあるのだ。

しかし、桜咲く....から言うことは無かったかもしれない。

 

あと、混んでたみたいで出てくるのがコメダにしては珍しく時間がかかっていた。

もう休憩時間無いぞってシチュだったので、人目もはばからず、がっついて食ったせい

か、ハラ下ったっす。

通勤仲間の離脱はそこはかとなく哀しい

  シャワーを浴びる。「あーさっぱりした」ってなカンジで髪を乾かし始める。

髪の毛洗ってないやん。。。。ってなことがたまーにある。顔をしっかり洗って、

ヒゲ剃って・・・ってやってるうちにどうも忘れちゃうみたい。洗顔料やらフォーム

やら洗い流す時に頭からお湯かぶるからかなあ。

 

 僕は毎日の行動、日常生活のルーティンは寸分なく行う人間なのだ。

シャワーを浴びる時にしてもそう。まずは顔洗って、次に・・・とかぜんぶ決まって

いる。きまぐれで「今日は足の指から洗っちゃおう」という崩しはどうも気持ちが

悪くてできない。

そこの一部が抜け落ちるというのはどういうことなのか。いよいよボケたか。

いや、ずいぶんと前からそういうことあったな。よくわからない。ルーティンって

極端な話、ぼんやりしててもオートマチックに行われる動作だと思うので。

 

さて、そういう性格というか生活習慣なので、朝出かける支度もきっちり分単位で

同じ。朝起きる時間も決まっているので、玄関出てから駐車場に行きクルマに乗り込

んでエンジン始動、時計を見るといつもぴったり同じ時間なのだ。

 

 ちょっとおもしろいな、と思うのは、そうやって毎日同じ時刻に出発すると、

どこそこの交差点で、道中のこのポイントでとか、ピンポイントでごいっしょする

クルマがほぼ同じなのだ。

やっぱこのクルマの人たちも、ルーティンをしっかり守ってるのかなーと仲間みたいな

気がして感慨深い。

 

毎日一緒の道を走っているクルマなので、どこでレーンチェンジしてどこのインターで

降りるかとか動向を把握しているため、実に安全。妙な動きをすることもなく、本日

もいってらっしゃい、いってきます、みたいな奇妙な連帯感を感じる。自分だけかな。

いや.....相手もきっとそう思ってるでしょ。こっちの動きも把握されてるから。

ここらでこの車線に移動しないと、ってタイミングで車間距離開けてくれてゆずってく

れるし。

逆もまた同じで、「アンタここらで車線変更しないとアカンだろ、トラック邪魔だな....

減速して車間開けたろ」みたいなことを毎日やっている。

 

 ところが、ある日突然、いつものクルマが見当たらなくなることがある。「今日は

休みなんかな」とかそこまで意識して考えるわけではないのだが、1週間経っても、

1か月経っても見当たらないと、「ああ。転職でもしたのかな....」とか思ったりする

ことはある。クルマ乗り換えたのかもしれないけど、時間とルートでだいたい分かった

りするもんだし。

 

ホント、まったくの赤の他人で、別にレース仲間だったりするわけでもなく、ちらり

と運転してる人が見えるくらいで、目を合わせて挨拶なんてするわけもない間柄だけど

通勤仲間がいなくなるのは少し寂しい。

 

視力低下

 自分は視力には自信があった。同年代の仲間が次々に眼鏡またはコンタクトを

装着していく中で裸眼でイケていたのだ。ただ左右で視力に差があるのが気になって

いた。

 

しかし、年齢を重ねるたびにだんだんと見えなくなってくるのは仕方がないことで、

ある年、ついに免許更新の際、アウトになってしまった。ゴールド免許だったので、

期間がけっこう開いていたこと、その間の視力検査はテキトーに答えていてもなぜか

正解していたのか、特に問題になることもなかったこともあり、視力が低下している

ことにまったく気づかなかった・・・・わけでもなかった、実のところ。「そろそろ

ヤバいかなあ」といつも思っていた。

 

その時がついに来ると、やはりショックだった。試験官のオッサンが、「はい、眼鏡

作ってまた来てね」となぜかうれしそうにご託宣を下した。

がっくりとうなだれている僕に、「そこでなんだけど、試験場出たすぐ北側のところに

眼鏡屋あるの分かる?そうそうそこそこ。そこは早くて安いよ。そこで作ってまた午後

においでよ」と営業を掛けて追い打ちをかけてくるのだ。なんかキックバックでも

あるのか?と疑ってしまう癒着ぶりに笑ってしまったが、「かーしこまりましたー!」

と返事をしてとりあえず引き上げた。眼鏡は家の近くのお店で作った。

 

「見える!見えるぞ!!くっきりはっきり見えんじゃないの!」今までの視界はいった

いなんだったのか。そう考えるとけっこう危ない橋渡ってたのかもしれない。怖っ!

と心底思った。高速で青看がよく見えないこともあったりして、いかんな。。。。とは

思ってたんすけど。ナビのお世話になると、あんまり見る必要ないっていうのもあった

かもしれない。早く気づいてよかったっす。

 

眼鏡は「とりあえず免許更新用に1時間で作ってくれ」とけっこうメチャクチャな

オーダーを出したんですけど、遠近じゃなければすぐにできるもんなんすね。

そのあたりも含めて、眼鏡界隈のこと何も知らんかった人間からすると、けっこうな

カルチャーショックでした。作る時に変な絵見せられたりするし。

 

さらに時は進み(っていっても眼鏡落ちからまだ数年なんすけど)、今では遠近眼鏡

をかけている時間が多くなった。よく見える日もあるので、仕事中とか本を読む時には

掛けないこともある。運転中はしないとアカンので運転用眼鏡壱号機をかけてますが。

数年経っても、いまだ眼鏡していることに慣れないですね。まあ仕方ないすね。

何もやる気無し通信 2月号

 疲れた。何もやる気が出ないし、実際しない。気圧のせいかアタマも痛いし、

自律神経もおかしいっぽい。

 

ので、明日は休みを取った。土曜日に休み取ってもまったく特別感が無いのが悲しい。

 

 

まあもともと鬱屈としたネガい感情を吐き出すためにやってるところもあるので、

こういうところで2,3人とは言え、見てくださってる方には申し訳ないと思いつつ

世の中に対し怨嗟の声をうめいてみるのもアリって言えばアリ。自分的にはですけど。

 

マジで何もやる気が出ないときってどういう状態になってるのか、第三者的にというか

客観的に自分の状態って見れないので、かなり阿呆なことになってると思うんですが、

そんな人の目も気にならないのが終わってるというかなんというか。

 

まったく実りのない駄文を頭カラッポで書きつけるのはけっこう気持ちよいですね。

もう完全に開き直ってるだけなんですが。自暴自棄はあるレベルを超えると快感に

なってしまうから気を付けないといけないです。

日記(2024.02.22)

 今日はネコの日だという。ネコには浅からぬ因縁があるワタクシではありますが、

もうネコちゃんに迷惑をかけないと誓ったあの日からネコとの絡みもなくなりました。

でも、いまだにネコが....などとやっぱりネコのことが気になってるんじゃないか!

特に意味は無いので無視してください。

 

 さて、明日から世の中三連休らしい。祝日でも普通に出勤する身にとっては、

何のことかさっぱりわかんないすね。たまった仕事も終わり営業からわけのわからない

依頼とかなければ、そろそろ会社のゴミをコンテナまでトラックしたいんだが。

混んでるかなあ。

 

しかし20℃越えの春本番みたいな日からいきなり寒くなったりするこのごろは、本当

にメンタルに良く無いす。あと気圧の乱高下はアタマ痛くなるのでやめてもらいたい。

 

 

 

 来るなって言ってるのに勝手に押しかけて来社したあげく、とんでもなく態度悪い

営業がいたので、さすがにキレて退場させました。

マジで一日台無しになるのでそんなヤツは来ないでほしい。まあ出禁なんだけどさ。

そういうのに限ってまた来るからな。どんなメンタルしてんだ。

最近こんなんばっかりですわホント。

 

以上、愚痴がウザい老害レベルですまんこってす。

 

3月に恋する

 春は出会いと別れの季節と言われる。会社で学校で人が入れ替わるのだからそれは

至極当たり前のことなんですけど。

 

 3月に入ると学校を巣立っていく卒業生を見たり、自分がその立場になった時に、

ものすごく切ない気持ちになっていた。別に好きな人がいて、もう会えない.....とか

そういったバックグラウンドが無くても、なにかやるせないというか、不条理感の塊の

ような気持ちを覚えていた。小学校のころから特に意味もなく自然とそのような気持ち

になっていたから、何か人と違っていたのかもしれない。

 

いや、みんなそうだよ、とは言われるかもしれない。まわりの雰囲気とかでしょ、とか

大人の気持ちが伝染してるんだよ。。。とか。

そんなことをいつか言われた記憶もある。それって後付けでしょ?みたいな。

 

でもそんなことはなくて、あの消えてしまいたくなるような切ない気持ちにとまどった

記憶は、今でもはっきりと覚えているし、散っていく桜の下をひとりで歩く時に感じる

寂寥感は耐えられないレベルだった。

それで何か行動を起こすというわけではなかったのだが。だから余計にツラかったのか

もしれない。理由もなく襲ってくる脅迫的な切なさは、けっこうキツい。

やがてある時期からその気持ちがとんでもなく強くなり、涙が止まらなくなったり

した。

フォローしてくれる優しい人からは、感受性が豊かな子なんだね、と言われたりした

が、なせ涙が止まらないのか分からない自分がもどかしかった。

 

 

 社会人になり、会社を去っていく仲間を見送る時は、やはり哀しいものがあるし、

逆に、「次もがんばって!お元気で!」と送り出すどこか晴れやかな気持ちもあった

りするものだが、そういった気持ちとは違う。この場合はどちらかと言えば能動的な

ものだ。はっきりとした理由があっての気持ちなわけですし。

 

しかし、3月が来ると毎年必ずやってくる、この切ない気持ちはいったいなんだろう

と思う。自動的かつ自然発生的に忍び込んでくるこの気持ちは。メンタル的にかなり

不安定になってしまうから、けっこうダメージを食らっている。

 

そして、最近これに一番近い気持ちは、片思いをしている時の、あのどうしようもない

恋焦がれる気持ちに近いことに今更ながらに気づいた。

結局のところ、僕は3月に恋をしていているんだということに。

恋に恋をするという言葉があるが、正しくそれだな.....。

 

 

 

 もうすぐ3月がやってくる。今年も身をよじって煩悶するのだ。すでに覚悟は完了

している。毎年のことだからね。困ったもんなんですけど。

書いていて自分でもこれはちょっと気持ち悪い人だなと思った。