対自核

セラピーの一環としての自分語り

自縄自縛

 自縄自縛という言葉が好きだったりします。好きっておかしいすね。

好きじゃなくて腑に落ちるってカンジ。自分を表してる言葉としてこれ以上ないな

って意味で。

 

 自分が思うほど他人はこっちのことなんぞに興味は無いし、こっちが言ったこと

なんてそんなに覚えていないもんだっていうのは、逆の立場に置き換えてみれば

分かりそうなもんなんですけど、特にヒドイことを言ったわけでもなく、なにか重要な

情報でもゲロってしまったこともないのに、ずっと自戒の念に囚われてしまう、

みたいなことがけっこうあったりします。

要は自意識過剰なんでしょうけど、苛まれてきた人生だった気がします。

 

で、妙な罪悪感に苛まれて、(相手からすると)意味もなく謝ってみたりすると、

「え?なんのこと?」みたいな。それは相手の優しさからっていうわけでなくて

素の反応で。

 

さすがにいい加減、自分に対してこれは阿呆のムーブではないかと気づいて、いや、

本当はずっと前から分かってたことなんですけど、心のクセっていうか、性分すね、

めっちゃくちゃイヤになって、そのあたり、無責任でええわって開き直ることが

やっとできたんじゃないかなと思えるようになりました。

もちろん、無責任な発言や心無いことを言ったりっていうのは問題外なので、

それは気を付けないとダメなんですけど、必要以上に「もしかしたらさっきの

発言、やっちまった?」みたいなことにずっと囚われるのはやめようということすね。

 

こんなこと、フツーの人は息を吐くようにできてることだと思うし、また、こちらが

何とも思ってなくても、相手に刺さってしまうことってあるとは思うんですけど、

ある程度はもう仕方ないなっていう無責任さですね。

 

ずっと自分で自分を縛ってきた人生だった気がします。そんなに簡単に変わるもんでも

ないですから、また同じことの繰り返しになるような予感がしますが。

 

最低限、他人に迷惑をかけない人生でいきたいとは思いますけど。

 

なんかほかのこと書くつもりだったんですけど、ほとんど自動書記みたいなカンジで

こんなこと書いてしまったっす。