対自核

セラピーの一環としての自分語り

マヨラー(宗教)

 正直に言おう。

僕は重度のマヨラーなのだ。マヨネーズフェチと言っても過言ではない。誇りすら

持っている。それくらい好きで好きでたまらない。

 

何にでもマヨネーズをかけてしまう。カラアゲはもちろんのこと、果てはただの

白米にマヨネーズをかけ、その上に粗びきの胡椒。これがたまらない。

 

マヨネーズが嫌いな人から見ると殺意が沸く(大げさか?)らしいのだが、好きなもの

は仕方ない。何食おうが勝手なのだ。

しかし、見た目というかそのビジュアルがもうダメだというのだ。

こちらからすればとんでもない話だ。見た目がちょっとアレでも美味いものは世の中に

たくさんある。

もうここまでくると戦争だ。マヨネーズで険悪になる間柄とはいったい何なのだ。

 

 

 しかし、マヨラー上位ランカーの僕でも唯一無理だったものがある。

数年前のことだが、知り合いの方に、とあるラーメン屋に連れていかれた時のことだ。

僕が重度のマヨラーなのを知っていたその人は、おそらく厚意でごちそうしてくれた

と思うのだが、それがとんでもなく難敵だった。

こってりしたラーメンの上に、ほとんど豚肉ブロックがそのまま乗っているという、

これを厚切りチャーシューと言ってよいものかどうか憚られる超ド級のお肉の上に、

これまた執拗に、マヨネーズがこれでもかというくらいぶっかけられているという

恐ろしい食品を深夜に目撃してしまった。

 

ラーメンの味は覚えていない。というのも、豚肉の途中で撃沈してしまったからだ。

・・・いや、ウソを言ってはいけない。上位マヨラーの僕はマヨネーズの海にズブズブ

と沈んでいったのだ。マヨネーズ人生初の敗退だった。

 

 

これがトラウマになり、マヨネーズはもういい......。とはならないところが、業が深い

ところで、今度は白米にツナ缶をオイルごとぶちまけ、マヨネーズ投入、かきまぜて

貪り食うなどという所業を、ちょいと小腹が空いたときになぞ行っているからもう

どうしようもないのだ。

 

これはおなかが出てきてしまっても仕方ないのではないか、と書いてて気づきました。

今かよ!と思われるかもしれませんが、それくらいマヨネーズは僕とともにある。

我に幸あれ、マヨネーズあれ。苦手な方はマヨネーズと和解せよ。