対自核

セラピーの一環としての自分語り

手土産の煩悶

 実家に帰省(ってもクルマで30分なのだが)する際に手土産を持っていくのだが、

そろそろ買っておかないと危ないのだ。

以前、「メンドクセーから当日、実家への道すがら買えばええやろ」って思考停止状態

で元日にどこも開いてなくて詰んだことがあるのだ。とてつもなく間抜けなのだ。

 

 さて、ボタンをポチる仕事は午後にやることにして、その前後にどっかで何かを

買おうということになった。まあ実家だからなんでもええやろって思うもんですが、

こういうところで妙なアイデンティティを出したがってしまうという悪いクセが僕には

ある。

 

「おっ・・・こ、これは!」みたいなリアクションを求めてるわけでは無いんですけど

こう・・・ちょっと一味違うというか、セレクトセンスに少しばかりの格の違いを見せ

つけたくなってしまう。親にそんなもん見せつけてどうするのかというツッコミは

スルーさせていただく。これは自分との闘いなのだ。

なのだなのだクドイのだ。書いていて、ずんだもんみたいな気持ちになってきたのだ。

 

基本、日持ちするものでええやろって思うのだが、僕は持参した手土産を自らバリバリ

と包装紙を破り、自分もご相伴にあずかるという暴挙を毎回行っている。

悪魔かもしれない。だが、評価を知りたい。今回のセレクトセンスはいったい

何点なのか。しからば即開封、即食すしかない。しからばの使い方合ってますか?

 

 

 僕は人にモノを贈る時、自分では買わないかもしれないが、少し欲しいかも.......。

っていう感情を大切にしている。本当に欲しいモノ、好きなモノはどうせ買っちゃって

るだろうからっていうのもあるんですけど、先ほど申し上げましたとおり、ちょっと

違うねセンスが、みたいな評価を欲しているのだ。承認欲求なのかなやっぱり。

それを親に求めるのもどうかと思うが。

 

 

今年はどうすっかな。こういうのって考え出すと完全に迷宮入りしますからね。

買うの5分、選定3日とか。わりと煩悶しちゃいますね。

 

まあでも、何がいいかなって選んでる時間も楽しいって言えば楽しいですけどね。